Les Films            de la Colombe d'Or       白鳩が金の鳩に輝き大空を舞うように、映像を語る!  ーコロンブドールー      L'information&La note


by Colombedor

カテゴリ:京都迷鳩案内( 17 )


『京の新好き、祇園のしたたかさ』  映画発祥の地 シネマで思うこと

私の師、劇団民藝の若杉光夫監督は古都京都で、京大、大映助監督時代、そして監督とし若き日々を謳歌されました。
私が師へ「京都とはー」の問いに、師曰く「新好き」と“一言”で表現されました。

その後、私が京へ上洛し、京で初助監督に就いた作品『お宮さん』では、その最初の撮影が祇園のあるバーでした。そのバーは、シャンソン・バーでハイセンスな室内。なるほど監督がおっしゃっておられた“新好き”を古都“京”でまず感じとった次第です。
そして室内撮影から外のロケーションとなり、黄昏前の祇園が現れました。まだ、閑散としている路に、通行人を作り、自転車で岡持を運ぶ丁稚、ガラガラと山のようなビールケースを台車で運ぶ業者、日傘を差す和洋服の婦人、老女などを歩かせると、現代もの作品でありながら、自然と以前観た “祇園”を舞台にした古い白黒映画の場面を追懐してしまいます。
それは溝口健二監督の映画『祇園囃子』(’53)です。
若尾文子さん演じる“舞妓志願”の少女が風呂敷を提げ、祇園の町家をさ迷う序乃場面で、家々に特徴がある紅殻格子(べんがらごうし)と二階窓に掛けられた簾。その路地には、京特有の一文字瓦がつくる軒下の影とキリギリス売りの大原女。そして衝立を洗っている浴衣婦人に行商人。何処から聞こえる御囃子笛の音が祇園の生活感を醸しだし、夜の祇園とは違う市井の祇園が映っていました。         そのドラマ森本組「おみやさん」

次の場面で、木暮実千代さん演じる芸妓美代春の居間で「芸者の嘘は嘘になれへん。お商売の駆引きや」と勘当された若旦那を罵倒し、花街としての祇園を象徴する場面になります。ここ迄の場面に戦後の新しい”祇園”全てを凝縮し表した名場面だと思います。
次にその少女も一年間の厳しい修行「仕込み」を受けます。
この稽古で師匠が「外国人はー (略) 芸者ガールの中に、一番美しく、代表的なものは、この京都の祇園の舞妓です。 (略) 生きた芸術作品です」といい、その各伎稽古場面は、戦後の新制教育で育った少女が祇園の厳しいしきたりと伝統を学ぶ姿に、今様な祇園の面白さが読み取れます。

この仕込み稽古で、近年の米映画『SAYURI』では、『祇園囃子』よろしく西洋好みでスピーディーに演出してあり、日米の芸者ガール意識の差異にも面白さを感じさせられました。
また晴れて舞子になり「見世出し」の日を迎える場面では、当時の祇園界隈の佇まいが見られます。戦前の溝口作品『祇園の姉妹』(’36)の様な封建的社会の犠牲から成り立った祇園ではなく、戦後の「新しさ」を採り入れた”自立した女性”の祇園舞妓の誕生が、古く伝統的な町屋の建物と熔け込んでいて、これも京風なものと感心しました。

―といっても、この作品に映っている祇園は幕末1863年三月の祇園の大火によって大半が焼け、その後新しく再建されました。古い建物でも百年ほどしか経っていないそうです。
時奇しくも、新しく変貌する時代において、新築されたお茶屋の祇園で、芸妓君尾など革新倒幕勤王の志士を保守新撰組から守り、明治維新を陰で支えた勤王芸者が活躍した歴史の裏舞台の町並みでもあるのだそうです。
そのように思いながら祇園を観てみるのも“新好き”の功名と甚く感心し、この勤王芸者の活躍場面を想像し、この町屋路地をワクワクしながら散策してしまいます。

しかし昨今、その町並みの面影は薄く、祇園町南側の花見小路、北の祇園新橋通の一部でこの町並を見ることができます。
特に祇園新橋では、祇園の全てが保存されているかの如く、均整な一文字瓦、趣のある紅殻格子、二階のアクセントな虫籠窓、一年中かかっている簾、邪気を払うお鍾馗さん、路地を彩る犬矢来、家の風格を出す駒寄せが揃い、私も当初、この祇園新橋の白川南通沿いがthis is 祇園だと思っていました。

幼年、映画を見始めた頃、「ゴーゴー!若大将」(‘67)を観て強く脳裏に焼きついていたのがこの場所のこの場面でした。
祇園京奴役のだらりの帯の浜木綿子さんとマドンナ役の星由里子さんが嫉妬勘違いし問うた新橋、その巽橋の脇で最新スポーツーカーに舞子さんを乗せはしゃぐのは青大将田中邦衛さんでした。

また、ドリフターズの10作目の喜劇『舞妓はんだよ 全員集合!!』(’72)では無理に女装させられた舞子姿の加藤茶さんが、同じ白川通と芸事の神様辰己大明神側を通る場面も出てきて、幼いながらこの場所に行きたいと思っていたものです・・・。

ついに『新・京都迷宮案内』の撮影で念願のこの祇園白川に行く事ができました。
行ってびっくり、幼い頃観た映画場面と何もかも同じなのでした。これには京町並み保存の効用に感動してしまいました。
そして撮影は短い場面にも関わらず、白川の清らかな流れの中に吉井勇歌人の“枕の下を水が流るる”が如く、カメラを設置するイントレの下を水が流るるかの如き置き、白川南通を歩く橋爪功さんと月亭八方さん二人が幕末創業のお茶屋「大柳」へ橋を渡り入るまでを撮影しました。何とも言い難い情緒が漂い、思い出深い場面になり、心底好きな場所にもなってしまいました。

またこの白川沿いに植えてある枝垂れ桜が円山の枝垂れ桜と同じく、今日桜名所として名乗りを挙げている事も知り、是非とも機会があればこの白川の料亭で春を満喫したいものだと心中思うのでありますが・・・。

実はこの撮影前に、京の人は碁盤の目で分かり易いという洛中にも、わたくし東男にしてみれば新撰組がただただ祇園を走り回っているかのように、私もただただ一人、古美術商が集まる縄手通周辺を調べにプレロケハンしていました。
まだ趣のある町屋が点在する界隈を逍遥し、気づいてみたら夕暮れ時になっていました。周りが段々と暗くなるにつれて既に道に迷い、行き着いた処がこの朱色艶やかな辰己大明神さんであり、その白川の向こうに見える温かな光につつまれたガラス越しに見えるは、舞子はんでした。
そこが思い出映画の場面の場所とはまだ知らず、何とも言えない異空間を体感した記憶が鮮明に焼きつき、祇園の知られざる新たな磁場の”生”を感じた次第です。

その後、夜の南座を見たくなり、四条通りを渡り川端を歩いてみました。
そうしたら一軒のおでん屋の灯を見つけました。この佇まいに心魅かれ、何時かはこの店で一杯と思いながら太秦へと帰ったのですが、そこがあの吉村公三郎監督映画『偽れる盛装』の舞台祇園宮川町であったとは、後で知った次第です。      その京おでん屋「道楽」
また鴨川向こうに松華楼という宿があり、当時吉村公三郎監督と脚本家新藤兼人さんが宿泊し、川向こうで石炭景気でどんちゃん騒ぎの音が聞こえる事から、この宮川町を舞台にした名作が生まれたそうです。芸者ベラミ役の京マチ子さんが追いかけられ切られる名場面の京阪路面電車の踏切はすでにないのが残念ですー。    

またこの宿は、ベネチア映画祭で賞をとり敗戦日本に勇気を与えた映画『羅生門』の黒澤組の宿でもあったそうです。
奇しくも先の若杉監督は、この『羅生門』助監督を務めていました。

京の祇園は、「新好き」が、善き伝統を受け継ぎながら、新しい時代を取り込み築く女性のしたたかな町なのかもしれません・・・。



注) 上記文は、昨年、「祇園」をテーマにしたエッセイをと言われていたものですが、
   そのままになっていましたのでこの京都迷鳩案内の中でUPしておきます。
   「京都迷鳩案内」も一年以上もさぼっていましたので気になっていました・・・。
   写真は、時をみて貼っていきたいと思います。 
   あんまり、写真撮っていないのですが ・・・・・。   取り急ぎ。 
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by Colombedor | 2008-07-21 10:47 | 京都迷鳩案内
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 向井去来のお墓
落柿舎(らくししゃ)近くの北側の裏
弘源寺墓苑内にひっそりと
わずか30cm位の石に“去来”と
陰刻され建っています。
歌人 高浜虚子は
 凡そ天下に去来ほどの小さき墓に詣でけり 
と歌っていますが、よくこの去来のお墓を表現していると思います。
向井去来は、俳諧師 松尾芭蕉の
門下十哲の一人で肥前国(長崎)出身の
俳人です。
慶安4年生れ(1651年) ー
宝永元年9月10日没(1704年10月8日)

なおこのお墓は遺髪を埋めたいわば別野だそうで、
本当のお墓は、左京区浄土寺真如町の哲学の道近く真正極楽寺(眞如堂)にあるそうです。

  去来の歌
            猪(ゐのしし)のねに行(ゆく)
                    かたや明(あけ)の月 去来 注釈1)

            なき人の秋も野分のくづれ口    去来
 
            千貫の劔うづむや苔の露       去来

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弘源寺墓苑の去来のお墓東側に古井戸があります。
この小倉山麓に住まいを持っていた
西行法師がこの井戸の水を用いたの
で、ー西行井戸ーとして
残されているそうです。





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誓興上人のお墓(左)と
    涌蓮上人(右)のお墓

去来さんのお墓の隣に祀られています。
涌蓮上人(ゆうれんしょうにん)は江戸時代の僧で歌人であり、あられ・かきもちの原形をつくられた方で有名だそです
上人は嵯峨天龍寺に寄寓していたそうで、里人が寺におそなえしたお餅であられをつくり、山籠り修行に持って行き、また里人にも分け与えた高僧だそうです。
誓興上人は現在不明です、調べておきます。なお誓興の(興)は旧漢字です。
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秋の野に咲く赤く可憐な彼岸花
彼岸花は別名曼珠沙華(マンジュシャゲ)
名ごとき、この嵯峨野の地にお似合いで
自生し、嵯峨野の霊の墓守をています。


学名 は Lycoris radiata だそうで、
Lycoris(リコリス)は、ギリシャ神話の
 海の女神 「Lycoris」 の名前から
 採ったもので、海の女神のように花がとても美しいことから命名されたそうです。


注釈1) 解釈
 平安時代の恋は夜に女の元へと男が通い、明け方には帰ってゆく。
 そのため、明け方は切ない別れを連想させる古き恋歌です。

 古今東西 男女の仲は変わらないようです・・・・・・!!
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by colombedor | 2007-03-14 12:39 | 京都迷鳩案内
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   嵯峨天皇皇子 有智子内親王(うちこないしんのう)またの名を賀茂斎院 の御陵


a0016177_7593652.jpg嵐山から緑深い竹林から肌射す光の道を
抜けると小倉山ふもとに広がる畑が・・・・
その麓には女流漢詩人であり
賀茂祭<葵祭>初代斎王(院)の有智子内親王が眠られている。
幼き4歳から若多感な25歳まで斎院として
賀茂神社にワーキングガールとして仕え,
さらに才女として女流文詩人の祖となり、
41歳で亡くなるまでここで過ごしたそうです。
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いつもこの里に来ると呼び止められるかのように足が向かい、この前で足が止まる。
初めてこの里に来た時もしかり、ただただ皇族のお墓だと思っていましたがいつしか
賀茂祭の初代斎王の魂屋であった事を知り、越後加茂出の私には深い因縁を感じました。

  春日山荘の題に対しての歌 七言律詩

 寂寂(じゃくじゃく)たる幽荘(ゆうそう) 水樹の裏
  仙輿(せんよ)は一とたび降(くだ)る一池塘(ちとう)
   林に栖(す)む孤鳥は春沢を識(し)り 澗(たに)に隠れし寒花も日光を見る
    泉声は近く報ず初雷の響 山色は高く晴れ暮雨(ぼう)行く
     此より更に知れり恩顧(おんこ)の渥(あつ)きを
       生涯何を以ってか穹蒼(そうきゅう)に答えん         ー経国集ー 

                 弘仁14年(823) 旧暦 春二月十八日  若干 十七才時作
それは、ー塘光行蒼ーの<韻>を見事に踏み、
うららかな春の日の山荘の詩情をのびやかに歌いあげた名詩だそうです。

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この御陵の地は
そのー春日山荘ーの
跡だそうです。

またその近く隣には
俳人松尾芭蕉の弟子
向井去来の閑居跡
落柿舎 (らくししゃ)
があります。


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松尾芭蕉も何度か訪れ
嵯峨日記を記したようです。

有智子内親王とはー
嵯峨天皇 第八皇女 
 有智子内親王
(うちこないしんのう)
 

地 図  
嵯峨小倉山緋明神町 
有智子内親王御陵 付近地図
 
落柿舎 向かって左の方が分かり易いかも・・・

関連前MyBlogー葵祭斎王代禊神事ー
斎王代は隔年で上賀茂神社と下鴨神社で交代し「御禊の儀」を行うー葵祭斎王代禊神事ー 

Photo Data: 2005/9/24 AM11

追 記  2007/3/14
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3月7、8日付 新聞に  斎王の社殿復元へ
今月6日、上賀茂神社と下鴨神社の社殿と神宝を新調し21年に1度ご神体を移す「式年遷宮」が2015年に向けて始まった記事が載っていました。
その事業内容にきしく奇しく嬉しくもこのBlogで先に紹介しました女流文詩人の祖、
皇女・有智子内親王 斎王が賀茂社に奉仕する前に身を清めて住まわれた
御所(斎院)社殿「賀茂斎院御所」を約530年ぶりに復元する計画も含まれていました!
今現在は、上京区 柴野 櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)内で
葵祭 斎王(代)行列発祥の地として賀茂(紫野)斎院跡顕彰碑があるのみのようです。
なお奇しくもこの柴野の地、
現代では史上最年少17歳高校生で「インストール」が第38回文藝賞受賞し、更に
19才史上最年少で「蹴りたい背中」が芥川賞を受賞した才女棉矢りささんが出た
京都市立紫野高等学校もこの神社近く船岡山の北にあります。
わたくし個人的なことですが、つい先ほど棉矢さんの新作 「夢を与える」買ってしまいました。まだ読んでいませんが・・・・・。

新聞記事
斎王の社殿復元へ…京都・下鴨神社で式年遷宮始まる
                               2007年3月7日 読売新聞

上賀茂・下鴨神社が社殿を修復 ご神体移す「式年遷宮」
                               2007年03月08日 朝日新聞 関西


櫟谷七野神社
七野神社と斎院 
    葵祭の斎王代は祭りに先立って下鴨神社と七野神社に報告するそうですので、
    その七野神社に参詣報告する様子

なおこの櫟谷七野神社は
かつての皇后が、天皇の寵愛を復活させたことにより、
浮気封じや愛の復活でも霊験あらたかで有名な神社だそうです・・・・・。

関西ユーモアご利益紀行 “恋愛復活”の霊験を授ける神様 櫟谷七野神社

住所 上京区大宮通廬山寺上ル西入ル または 上京区上御霊前通智恵光院東入
櫟谷七野神社 地図  船岡山公園近く 南東方面にあります 
                  (一般地図には名が載っていません)
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by colombedor | 2007-02-16 17:15 | 京都迷鳩案内
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嵯峨野 愛宕念仏寺          この写真は一年前の 2005年 11月29日

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  写真は 2005年 11月29日

  16時30分~17時過ぎ

  だいぶ閉館時間を過ぎましたが

  私一人帰るまでお寺の皆さんが

  待っててくれました。

 ありがとうございました!

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黄昏時の鮎街道 

 鮎屋・平野屋

参詣の後と思いましたが
食いそびれました・・・・・

鮎屋・平野屋



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説明は後ほど・・・・・

下記リンク参照








愛宕念仏寺公式HP

念仏寺 - 愛宕(おたぎ)羅漢さん、京都嵯峨野 のぶなが さんのHPから

コミュニティ嵯峨野ネット 愛宕念仏寺
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by colombedor | 2006-11-24 08:22 | 京都迷鳩案内
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 嵯峨野 大覚寺裏の大沢池周辺 
  午後三時過ぎ 日の短い秋の野も 趣のある畑野を奏でていました・・・・
 
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嵯峨野周辺地図
嵯峨野 大沢池周辺畑野 マップ

   迷鳩コメント説明は後ほどに・・・・・       写真は’05年11月20日
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by colombedor | 2006-11-16 10:47 | 京都迷鳩案内
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百人一首で著名な小倉山 
二尊院と千灯供養の灯で有名な
化野念仏寺の嵯峨野散策の道の間にある
 嵯峨野霊苑 参道の紅葉です

 京に上がると、
必ずこの嵯峨野に先に向かい
この霊苑に眠る
山下将軍監督のお墓参り
を兼ね散策させて戴いています

四季折々上京時、この嵯峨野で
自然の変化を肌全体で受け止め
また京に上がったのだな~と
つくづくと感じ
自分自身気を引き締めます・・・・・



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 撮影は昨年2005年11月26日 
散策の帰路に向かう人々にすれ違う
午後3時すぎです・・・・・・・・
 
   嵯峨野霊苑
   京都市右京区嵯峨二尊院門前
   往生院町29-6


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またこの周辺 化野(あだしの)は、
古来から葬送の地とされ
無名市井の人々の亡骸が風葬された共に
後亀山天皇陵
嵯峨天皇皇女 有智子内親王
芭蕉の弟子 去来 
等の歴史 文学上で著名な方々の
永眠の地としても有名です・・・・・・

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         山下耕作監督のお墓
                       法名 釋 耕映

         お墓の墓石には
                     法名碑 山下家先祖代々
                          釋 耕映
                     平成十年十二月六日寂
                     俗名 耕作 享年六十九才   と刻まれています

くしくも田中 登監督山下将軍監督と同じ享年六十九才で世を去られました・・・合 掌
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by colombedor | 2006-10-19 12:01 | 京都迷鳩案内
賀茂川と糺の杜の中にある ”洋食のらくろ” の絶品  ートルコライスー!
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噂には聞いていた、評判の ーのらくろ トルコライスー 食べてしまいました・・・・。
美味い!!
とろとろの卵オムライスの上にサクサクした一口牛カツと特製デミグラスソースがのり、
その隠れているケチャップライスを一気すにくい上げ、口の中に放り込むと、
三位一体な至幸の一時の味わいが広がり・・・・          幸せ・・・・と。
スープとサラダがセットで900円?だそうです・・・・。多分、今回はおごりでしたので・・・・?
この特製デミグラスソースは、玉ねぎ、人参、セロリを炒め、牛の骨のスープで一週間じっくり煮込んだお店自慢のお手製ソースだそうです。

a0016177_162635.jpg この”のらくろ”のある場所は、旧松竹下加茂撮影所があった宮崎町です。
以前に紹介したあの名女優田中絹代さんが裸足でこの賀茂川を渡ってきた処です。 


 昭和初期 松竹キネマ京都撮影所(松竹下加茂撮影所)
 
この店は昭和9年開店だそうです。
しかし残念ながら田中絹代さんはすでに松竹鎌田に行ってるようです・・・・。
また戦後は松竹下加茂撮影所が近くにあったために、松竹撮影所の指定食堂でもあったそうです。しかし今日その面影はまったく見られず、単なる住宅街の中にお店はありますが、
現在でも当時のように俳優さんがランチを食べに来るそうです。        a0016177_110245.jpg

・・・が、
不思議にも ” 東映ランチ ”という幻のランチがこのお店には存在します!
当然、メニューには載ってませんが・・・・  一度、特別オーダーして下さい。今回は、目の前で見ただけで写真も撮るのを忘れましたので・・・・・
次回にはYouzoも食べたいと思います!
   
   洋食 「のらくろ」

 糺の杜   ー 私事ですがちょっといい話 ー 蛇足ですが・・・・!
夏至の刻、比叡山から射す朝日が、「元糺(もとただす)」の池がある 蚕の社 木嶋神社と
松尾大社とが一線となって並ぶ、朝日の「直す(ただす)」からとも伝えられるように
吉報が届きました!
正に祭神賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、人々の訴え事をこの森で聞いて、
正邪の裁きをしていたという言い伝えがあり、「糺(ただす)」という名はこれに由来している
という言伝え通りに・・・・・。  審判下さる!   嬉しいかな!!
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by colombedor | 2006-06-24 00:24 | 京都迷鳩案内
  京老舗 花折の鯖寿し    “はれの日” 京町衆の祭り寿司 - 鯖寿し - です。
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  下鴨神社参詣のをり、寄らせていただきました。
京 鯖寿司はこの時が初めてですので、先ずは”花折”でと常々思っていました・・・・。
さてはと時間をずらし昼一時過ぎに参り候、早一時一組待ち、すぐ席を用意して頂きました。
一人でふらっと行っても、親切にも座敷を勧めてくれまして感謝します。
あぢな心遣い食する前に味がまします。

さてこの鯖寿司、見たからにさばのてりが美味しそうで、身厚のさばは食べ応えあり、
鯖の酢脂と酢飯の香りが口の中で程よく混ざりあい、そして広がり美味しく頂きました。
またこのように見ても美味しくいただけます。
a0016177_881118.jpgこの鯖寿司 ちょっと賀茂川 鴨川 加茂川にご縁があり、越後人としては自慢ですが、
京の鯖寿司は元々越前福井若狭湾で捕れた鯖で造るのが昔からの倣いの様ですが、
現在、若狭湾ではこの身厚な鯖が捕れないそうです。
ーで、”身厚”鯖の方は現在では日本海は新潟佐渡沖の鯖を使っているそうです・・・・と教えてくれました。

また河原町の高島屋でも手に入り、さらに通信販売でも扱っているそうです。御賞味下さい。

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場所は、
賀茂川葵橋東詰より下鴨本道北 家庭裁判所向かい先にあります。
普段はロケバスで何度かこの前を通っていたのですが気づかず、槁の向こうまで行って
交番のおまわりさんに教えていただきました。

鯖街道・花折

やじきたの鯖街道を行く
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by colombedor | 2006-06-11 09:25 | 京都迷鳩案内
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                      玉依媛命神像図      冷泉為恭画  下鴨神社蔵
a0016177_12284854.jpg賀茂御祖神社
   (かもみおやじんじゃ)
本殿は賀茂建角身命(かもたけのつぬみのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)を御組(みおや)の祭神とし祀っているそうです。
上記神像図は御神玉依媛命(たまよりひめのみこと)が鴨川の水辺で丹塗矢(にぬり[の]や)を拾われた神話を描いたもです。その丹塗矢を玉依媛命が床に置いたところ御懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)上賀茂神社で祀られています賀茂別雷命(かもわけみかづちのみこと)だそうです。
玉依媛命はまさにゴットマザーなのです。       玉依毘売命 玉依姫尊 
また丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神とも言伝えられ、
下鴨神社は平安遷都後は王城の守護神として崇められてきました。
なお上の写真は、えとの守護社(言社)で、その上手(右側)に本殿が御座いますがこの時は修理中でよく見えませんでした。次回参拝時に撮りたいと思います。
また賀茂神社分霊の越後加茂では、”矢立”という名の御神事場があり、春の加茂青海祭りではそこで神事が行われるのも、玉依媛命の丹塗矢の由縁によるものと思われます。

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                    葵生殿   と   三井神社
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a0016177_12302467.jpg2015年の第34回下鴨神社遷宮に際し、私の一家を代表し檜皮(ひわだ)を奉納させて戴きました。
また上賀茂神社第42回式年遷宮に際しては、個人名で檜皮(ひわだ)を奉納させていただきました。賀茂神社の遷宮が待ち遠しいです・・・・。
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賀茂神社(上賀茂神社、下鴨神社の総称)は都が京都に移ると玉城鎮護の神として伊勢の神宮に次ぐ我が国第二の格を与えられ、明治以後終戦まで官幣大社の筆頭として全国神社の筆頭に位したそうです。            賀茂御祖神社 下鴨神社

余談ですが、以前伊勢神宮の第61回内宮式年遷宮で出来たばっかりの目映い本殿を撮影に行った時があります。その遷宮には、幼い頃から見ていた親戚の敷地にあった一本の檜木が使われていましたので、この強い御縁により、感慨にひたりその時心の中で自己陶酔してしまいました。
感極まるあの感動は今でも脳裏にはっきり焼き付いています。
賀茂神社におきましても遷宮縁深く相成ります様お願い申し奉ります。
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by colombedor | 2006-06-07 06:27 | 京都迷鳩案内
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a0016177_6343269.jpg 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

神々が宿る神聖な糺の森をぬけ鳥居をくぐると
朱赤色の桜門に着きます。

朱赤は赤のバイタリティ溢れる生命の色に黄色の知恵の色を混ぜているそうで、脳が活性化して、集中力が高まり、意欲がどんどん湧いてくるそうですので、その気分で桜門を通れます。

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境内では御手洗川に架かる神橋 輪橋が目に入り、正に欄干の朱赤色とイチョウの黄色が和合し、気力が湧き上がります。

a0016177_23545288.jpgこの輪橋がかかる御手洗川の上流には
疫病・怪我・さまざまな災厄除けの神様、
瀬織津比賣命(せおりつひめのみこと)をお祀りした井上社 古名 唐崎社
通称 御手洗社があります。
この御手洗社前のお池では、葵祭の斎王代も身を清め、また例祭日土用の丑の日には、みたらし祭(足つけ神事)、立秋の前夜には夏越神事と様々な厄除けの神事に今も使われているそうです。
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                       井上社とみたらしの池      
お社は井戸の上に建立されましたので井上社(いのうえしゃ)と云うそうです。
十二一重を着て御手洗川で禊ぎを行う、            ー葵祭斎王代禊神事ー
斎王代は隔年で上賀茂神社と下鴨神社で交代し「御禊の儀」を行うそうです。
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a0016177_441551.jpg尾形光琳が江戸時代に描いたといわれる、この付近の御手洗川と梅で有名な
ー光琳の梅ー
「紅白梅図屏風」 
 (MOA美術館蔵)
だそうです。
   輪橋 光琳の梅

私は、「みたらし(御手洗)団子」の方がみに合います。この御池から湧く水のあぶくをかたどったものがみたらしみたらし団子で、その発祥の地でも有名だそうです。
今回は『加茂みたらし茶屋』で食べ忘れましたが・・・・。
輪橋の梅も、香りゆかしきころ観に行きたいと思います。
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縁薄く この「相生社」に願を懸け忘れてしまい、輪橋 光琳の梅と連理の賢木を撮り忘れてしまいました。
次は縁結びの神様 相生社さまに深く篤くお願いしたいと思います。  連理の賢木                  
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by colombedor | 2006-05-31 23:58 | 京都迷鳩案内