Les Films            de la Colombe d'Or       白鳩が金の鳩に輝き大空を舞うように、映像を語る!  ーコロンブドールー      L'information&La note


by Colombedor

俳優 三國連太郎さん永眠 心からご冥福をお祈り申しあげます。

         ご逝去を悼み、故人のご功績をたたえるとともに
         在りし日を偲びつつ、謹んで哀悼の意を表します


   春 卯月 14日 日曜日 午前9時18分
   急性呼吸不全のため三国連太郎さんが都内の病院で死去されました。 90歳。

 三國連太郎さんとは以前武田泰淳原作の「ひかりごけ」の映画の現場で御一緒させて戴きました。製作プロデューサーは、劇団民藝出身の俳優故内藤武敏さんで家を担保にし製作した思い込みの強いテーマ作品でした。
三國さんはその主人公、船長と校長先生の一人二役で出演して戴きました。
 三國さんと最初にお会いしたのが本読みだったか衣装合わせだったが今ではハッキリしませんが日活の狭い部屋であの大きな体を小さくしメインキャストと本読みをしてくれた御姿が名優と称されるとも対照的に好印象的でした。そして衣装合わせでの戦争体験の話がでて、役衣裳一番しかないのに一度で決まらずその後三國さんの体験的御意見を尊重し何度か衣裳確認をした思い出があります。その時は美術担当助監督でしたので逆に話やすかったこともあり色々と戦時当時の中国大陸での話をお伺いしました。
 そして撮影中はいつもそばにいた関係で三國さんの愚痴までも聞くことが出来ました。監督の熊井さんもすでに亡くなっていますので話しますが、いつも撮影前の前日、当日の撮影後に翌日の撮影リハーサルを行なうのですが監督はただ黙って俳優がとりあえずその場面を演じ行いあれやこれやと芝居作りに励みます。さすがに監督からの演出指導がないので三國さん以下俳優陣は四苦八苦しながら暗中模索しながら演じます。ついに三國さんがポロリ私の耳元近くで”なんでも(わたしたち役者陣に)やらせる!”と苦言を漏らしました。監督は相変わらずカメラマンと照明の方とポツポツ話すのみでした・・・・。三國さんにとってもヒューマンで戦争批判が強い内容作品に思い込みがあるようで俳優部とメインスッタフの距離を感じていたようです。また組み常連の俳優からもこれと同じ距離感の苦言も聞きましたが・・・・。確かに三國さんは「親鸞 白い道」でご自身が企画し監督をされていますのでつい口元から苦言がー。また後談ですが松竹のスタッフから映画「釣りバカ日誌」初期作品撮影中は監督に変わり撮影段取りを指揮していたと聞いています。本当に見ていられなかったようです・・・・。
 また演出部として最も思い出深いエピソードは、三國さんから試された事です。この作品の中で三國さんは船長と現代の校長先生の一人二役を演じるのに船長は髪有り、校長先生は五分刈り坊主になり別人の変化をつけることになり、その現代の校長先生役の撮影初日に試されてしまいました。
 朝、三國さんの到着を日活の所内駐車場で待っていますと狭い所内通路に1台の大型車レンジローバーが止まっていて中からじっと見ている気配がしました。最初は三國さんの車のようですがちょっと違う感じでしたのでまた待ってみました。しかし、車の中の顔をもう一度見てみましたら坊主姿の三國さんと気付くと、三國さんニタリ笑い車を進め動き始めました・・・・。三國さん船長の顔と校長先生の顔の変化をわたしに確認し、成功したと確信したようです。今思うには演出部冥利に尽きる良き思い出です!。
 更に、この時期の日活撮影所でちょうど西河組「一杯のかけそば」、そして「いつかギラギラする日」の深作組も入っていました。撮影は夏から初秋にかけて行われ、撮影所セット撮影は真夏に行われました。朝からの撮影で三國さん以下俳優陣は真冬北海道羅臼洞穴の場面で厚着の衣裳で演じていました。それで昼休み昼食後は、俳優陣はスタジオ入り口の前で上半身ハダカになり昼寝です。ちょうどその時、日焼けした顔の深作欣二監督と撮影の浜田さんが通りかかり入り口の横で裸の大きな体をさらし昼寝している三國さんをみて、にこよかに歩いていたのも印象深い事です。その時私達スタッフは、奥さんからの手作りテラミスを美味しく戴いていたのも思い出深いものです。こんなに三巨匠監督また各俳優が日活に同時に入っているのも今からみればすごいことなのですが・・・。日活撮影所がまだ勢いがあった頃の良き想い出です。
 また更に後日談ですが、私が一時映像の世界から離れ数年ぶりに戻ってきた時ですが、すでに日活撮影所での撮影から十年過ぎ経ちましたが偶然一度お目にかかる事がありました。
 私が東映京都から戻ってきた時に、松竹映画「釣りバカ日誌」の撮影が東映東京撮影所で行われていました。ちょうど所内を歩いていると向こうから衣裳を着替えスタジオセットに向かう途中の三國さんとバッタリと会いましたので、懐かしく思い深々と頭を下げ挨拶をさせて戴きましたしました。すでに一昔前ですが三國さん”生きていたか”と声を掛けてくれました。ほんのちょっとの間でしたが三國さんから声を掛けて戴き、また私を憶えていてくれ大変感謝した想い出です。また、現場復帰しまだまだ出来ると自信も湧く切っ掛けにも成りました。
 本当に三國さんとは一本だけですが大変お世話になりました。ありがとうございます!

       伊豆の海で安らかにご永眠されますようお祈り申し上げます
           南無阿弥陀仏      合 掌       Youzo
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by colombedor | 2013-04-17 08:39 | La Colombe d'Or